母の手料理
今日は胸にじんわりとくる短編小説を見つけました。
最近私が考え始めるようになったテーマがあります。
それは「母の手料理」。
私は昨年母を卵巣癌で亡くしました。
末期癌と闘っている母に私は様々な手料理を作ったりもしてみましたが、もともと苦手だったこともあって家族には絶賛されても個人的にはイマイチしっくりきませんでした。
私の母は私が小さい頃から手料理命の女性で、お弁当でも周りのクラスメイトが冷凍食品をチンしたグラタンなどをお弁当に詰めてくる中、私のお弁当はいつもその日の朝に作った手料理しか入っていませんでした。(ガンになってからは一品くらい冷凍食品が入ることもありましたが極力入れたくない、と言っていました)
理由は分かりませんでしたが冷凍食品を絶対に入れないという母のポリシーだけは幼ながらに伝わってきました。
そして母の手料理はどんな食材でもいつも美味しかったのを覚えています。
そのおかげもあってか苦手な食材はあっても、絶対に食べられないものは1つもありませんでした。
母が亡くなってから母の手料理というものを食べられなくなってしまったのですが、そんな中こんな短編小説に出会いました。↓
タイトル「あなたが母親の手料理を食べられる回数は、残り328回です。」
https://ncode.syosetu.com/n4062ea/
子供は母の手料理から多くのことを潜在的に学び、そして多くのことを身につけます。
私は母が存命の時は母の手料理を食べられる回数などというものに意識を向けたことはなかったのですが、もしあの時それに意識を向けられていたのなら母の手料理からもっと多くのものを学ぼうとしていたでしょう。
こんな言葉があるらしいです。
「女性が自分の創造した料理の味に家族のメンバーを馴致させることが出来たら、その女性は家族を支配できるに違いない。支配という言葉が穏当でなければ、家族のメンバーから慕われ、死んだ後でも懐かしがられるに違いない、と言いかえても良い。
それ以外の方法では、どんな才色兼備でも、高給取りでも、社会的地位が高くても、優しい性格の持ち主でも、女性が家族から慕われることは、まず絶対にないと思ってよい。」(吉本隆明)
この話を聞くと母親は子供のために、家族のために、そして自分のために、美味しい手料理を作れるようになった方がいいなと思いました。
だから私はもっと料理を根本から勉強したいです。
味噌汁1つ作るにしても美味しいダシの取り方から学び、それを口に運ぶ自分の未来の家族を想像して今はまだない未来の幸せを感じるのです。