魂がふるえる(塩田千春さんの個展より)
大学の近くで見た夕陽です。
あまりにも美しくて思わず撮ってしまいました。
ここ最近このように突然目の前に現れる美しい自然にふわっと泣いてしまう自分がいます。
今日の夕陽はなんだか入学当時母と初めてこの地に来た時の思い出や、母がいなくなって1人で学生として過ごす最後の夏が終わっていく寂しさや、誰かが雲の隙間からこちらに光を射してくれているような安心感など、いろんな感情をブワーッと湧き起こしてきました。
そして今日は!(こんな綺麗な夕陽を見ながら)ずっと前から気になっていた塩田千春さんの個展に行ってきました。
母が死後に乗った舟もこんな感じだったかしら。
こうやって川を登っていくように光の中へ進んでいったのかしら。
大好きなおばあちゃんに会えたかしら。
私が今乗っている舟もきっとこうやって今も天に向かって少しずつ進んでいるのだろうな。
過去よりも今を、そして未来のために大切に生きないといかんな。
入り口からこんなことを考えさせてくれました。
心の中にある孤独や、不安や、恐怖を一度でも強く意識したことのある人にはとても刺さる作品ばかりでした。
言うまでもないですがおススメです。
今日はいくつかの作品とそこで私が感じたことを書きますね。
まずは黒い糸で燃えたピアノと椅子が象徴する、静けさの中の虚しさを表現した作品。
燃えたピアノからはなんとも言えない香りがしました。
誰にも弾かれることのなくなったピアノと、それを囲む誰も座っていない燃え尽きた椅子。
なんとなく勝手にこれらが燃える前に開かれていたピアノコンサートを妄想してしまいました。
この椅子には誰が座っていたんだろう。
このピアノは誰が、何を考えながら作ったんだろう。
色々な想いが込められたものが全て、いまは燃え尽きてそこにポツンと置かれている。
この作品からは物の盛衰を感じ取りとても切なくなりました。
これは鏡に反射するドレスとそれを取り囲む壁のような黒い糸。
服は人間の第二の皮膚。
ファッションはアイデンティティーを表現するもの、というのは考えたことがありましたけど皮膚の一部と考える人もいたのですね。
皮膚って私たちの内部にある心臓や血管やその他の大切な筋肉や臓器を大切に守るベールのようなもので、それらを剥がしてしまえば人間みな同じものが入っているのだな、ということは解剖実習のときの衝撃から感じたこともありました。
でもよく考えたら服も同じですね。
衣服を脱いだむき出しの人の姿ってなんだかありのまますぎて私はいつも直視できないんですけど、そういったむき出しの裸が外界に晒されることがないように守っているのが衣服なんですよね。
そして衣服を着た人間を守るための"皮膚"として壁やドアや窓はそれになり得ないだろうか、と塩田千春さんはもしかしたら言いたかったのかもしれないですね。
最後に、私がこの個展に最初に興味を持つきっかけとなった作品がこちら。
「集積ー目的地を求めて」。
スーツケースの数だけ人の生がある。
そんなこと考えたこともなかったです。
でもたしかにこの文を読んでから見ると、スーツケースについた小さな傷の1つでさえも熱いものを感じます。
私はここ一年で、この世の中には人の数だけ自由な生き方や感じ方があってそれらを否定することはいけないことだ、と強く意識させられたのでこの作品はグッと引き寄せられるものがありました。
小さなスーツケースから大きなスーツケース。
いくつもの旅を乗り越えてきた歴史がそこにはあります。
このありのままのスーツケースの姿から私がこうやって多くの歴史を推察するように、私たちは他人の顔に刻まれたシワやタトゥーや傷跡1つ見たときに同じようにその人の過去を思いやれるようになるともっと生きやすい世の中になるのかもしれませんね。
と、とりあえず夜も遅いので記録はここまでにして、この個展から感じた多くの感動はじっくり日にちをかけて味わいたいと思います。
おやすみなさい☆