人間を診る
医療者なら誰でも耳にしたことのあるであろう「ヒポクラテスの誓い」。
今日はこのヒポクラテスの名言から私が得た、人との向き合い方について話したいと思います。
私達医療を学ぶ者にとって大きな存在である医学の父、ヒポクラテス。
わたしの大学の病院入口のところにもその宣誓文が大きく飾ってあります。
そんな彼が残した数多の名言の中でも特に私が好きな言葉がこちら。
その人間の持つ疾病に興味を持つことよりも、その病む人間がどのような人間かに興味を持つことの方が重要である
医療者が常に心に留めておきたい哲学的な言葉です。
ですが、この言葉は決して医療者に限らず全ての人に言えることだと私は思います。
なぜなら私達人間は皆どこかしら病んでいるからです。
簡単に言い換えると、人間は皆何かしら心に痛みを抱えている、ということです。
人間は生きていれば辛いことが必ず起こります。
そんな中で私達は自分の痛みや弱さを守るために言葉を飾り、見た目を飾り、本当の弱い自分をさらけ出せずにいることの方がほとんどです。
これは自分のことを傷つけてくる人、そしてその心の傷みの裏返しとして報復してしまって自分が傷つけてしまった人全てに言えることです。
ですが、私たちはそうやって人のことを傷つけ傷つけられながらもどこかで傷つきたくないと恐れています。
では私たちは少しでも人のことを傷つけず、傷つけられないためにどうやって生きていけばいいのでしょうか。
それは相手の飾った言葉や外見だけに惑わされずその裏に隠された真意を辿ることです。
例えば、すごく身体を鍛えている人がいたときに、この人はすごく筋肉があって運動が好きなのかな、という外見の情報だけではなく、なぜこの人はここまで鍛えようと思ったのか、この人に毎日トレーニングを続けさせる要因はなんなのか、を考えてみる、といったことです。
また自分のことをすごく馬鹿にしてくる人間がいた時に、なんでそんなひどいこと言うんだよ!と怒る前に、なぜこの人は私という人間を選んで、この言葉をチョイスしたのだろう、私がその人に何か過去にしたことはないだろうか、もし何か心当たりがあるならばそれに対する意思表示としてこの人のこの言葉のチョイスは適切なのか、もしくは私という人間を選んだのではなく誰彼構わず何かのストレスを発散させたいだけなのか、と深く背景を探るのです。
ここでもう一度ヒポクラテスの言葉を見返してみましょう。
その人間の持つ疾病に興味を持つことよりも、その病む人間がどのような人間かに興味を持つことの方が重要である
この言葉は言い換えると、
"その人間の持つ物や外見や言葉の内容に興味を持つことよりも、それを持つ人間や、その外見を作り上げている人間、その言葉を選ぶ人間がどのような過去を持ち今そこに至っているのかに興味を持つことの方が重要である"
ということにもなるのです。
"今"を切り取らず、"今"を作り上げている"過去"を思いやること。
私達医療者に限らず、人間は人間同士お互いを"診る"姿勢が幸せに生きる上でとても大切なことだと私は思います。
ちなみにこの話は塩田千春さんの魂がふるえるという個展にあったスーツケースの話と同じです。
yuka-yuka-smiley.hatenablog.com
私達は些細な言葉や、表情や服装からその人間の過去を思いやりその人間の今の姿に理解を示すことができるようになると
例え環境が変わらなくても自分を取り巻く環境の見え方が大きく変わります。
人からの攻撃が単なる攻撃ではなく、悲痛な訴えに見えてきます。
そして自分の痛みや悲しみから来ていた"怒り"が痛みや悲しみのまま留めておくことができるようになり、さらにはその先の学びへとつながります。
このように見え方が変わると私達はとても生きやすくなるのです。
人を診る、ということ。
これが少しでも幸せに生きるための大原則だと私は思います。