ことばの薬
生き物には痛覚があります。
指に針が刺さるとチクッとする、転んで足をすりむいたらヒリヒリする、何かしらの侵害刺激に対してほとんどの生き物は皆、生きるために様々な痛みを感じます。
ですが一つだけ、人間という生き物が他の生き物に比べて特に感じやすい痛みがあります。
それは心の痛みです。
体に傷がつくと痛むように、人間の心もまた傷つけられると目には見えなくてもしっかりと痛みます。
そしてその傷の治し方は体の表面にできた傷と同じです。
しっかりと手当てをして元のきれいな状態に戻すことが一番理想的です。
仮に身体のどこかにケガを作ったとき、大抵の場合、私たち生き物は小さいうちに親や、お医者さんや、学校の保健室の先生など、様々な人に手当てをしてもらい、やがて一人で手当てできるようになります。
ですが心の傷に関しては目に見えないのでよほど人の痛みに敏感に気付ける人がそばにいないとなかなか手当してもらえません。
また仮に周りにいる人が傷ついていることを察知できたとしても、その傷の状態は詳しく目に見えないものなので、正しい治療法で手当てできているかなんて分からないものです。
自分の持つ心の痛みの本当の状態は自分にしか分からないのです。
なので私達はたくさんの人の多種多様な心の傷の治し方を聞き、目にして、感じながら自分の痛みと照らし合わせてその手当ての仕方を探っていく必要があります。
世の中にはとても攻撃的な言動ばかりする人がいます。
私もかつてそうでした。
こういった攻撃的な人の正体は、
過去に治癒しきれなかった大きな心の傷を抱え、誰にも手当してもらえず、そして手当の仕方も教わらず、その傷の状態でさえも正しく把握することができずにそのまま今まで生きてきてしまった人なのです。
人はあまりに大きすぎる傷を受けてしまうとどこから説明していいのか分からなくなり、思うように言葉を発することができなくなります。
ちなみに私の場合、小4というまだまだボキャブラリーが貧しい時期に自分の心の痛みをどう説明していいのか分からず、痛みに対して言葉を発することができなくなってしまったので最終的なSOSのサインとして自分で髪の毛を抜く、という行為に走りました。
椅子の下が抜いた髪の毛で真っ黒になるくらい無心で抜き続ける、やめたくてもやめられない、あの抜いている間のつかの間の安心感は、おそらく何も考えなくて済む唯一の瞑想時間だと感じていたから生まれた感覚なのかもしれません。
私はこの大きな傷の治し方を見つけるのに15年以上もかかってしまいましたが、もしこれから出会う人や、今私の周りにいる人で私と同じように一人で針だらけの殻に閉じこもっている人を見かけたら、優しく言葉の薬を紡いで手当てしたいと思います。
そして一人で優雅に羽を伸ばして空を飛べるようにしてあげたいです。
その優しさが押しつけがましくないように、つらいときに見に来て好調な時はその薬の場所も思い出せないくらいの感覚で、そっとたくさんの優しい言葉の薬を書いて置いておきたいと思うのです。