トラウマ
昨年の心の傷がすっかり瘢痕化(トラウマ化)しているみたいだ...。
久々に彼らの顔を近くで見た。
たまたまご飯屋さんで遭遇しただけなのに彼らの目を見るだけで身体が萎縮してしまった。
昨年の出来事が、頭がかち割れそうになるくらい1人で泣いていた数多くの日々が、走馬灯のように想い出された。
本当に小学校以来かもしれない。ここまで大きく傷ついてしっかりとその跡が刻まれたのは。
本能的に恐怖を感じてしまう。
でも昔の私と今の私には大きな違いが一つある。
それはこの悲しみや恐怖心を決して憎しみや怒りに変えてはいけないんだ、という強い意志があるということ。
特に今の私は人間の真顔が怖い。とにかく怖い。みぞおちが締め付けられるような感覚になる。
なぜなら今の私はその真顔の影で1人で泣いている人たちの叫びが簡単に想像できてしまうから。
私と今一緒に勉強している女の子もその1人だ。
私は思う。
この恐怖心は、怒りに変えるのではなく、そういった1人で泣いている人たちを守るための強い盾に変える方が私もその人もきっと幸せになれる最良の選択なんだと。
最近本当に心から感じることがある。
私は味方の少ない人たちの味方になるために生まれてきたのかもしれないな、と。
ほとんどの人がなんとなくトラブルに巻き込まれたくなくて放っておいてしまう一匹狼のような人たちを余計な攻撃から守るために生まれてきたような気がする。
社会にはその仕組みに適応できずドロップアウトしてしまう人がいる。
そういった人たちを守るための最後の砦、セーフティーネットともいえる社会のシステムが生活保護なのだが、
社会のセーフティーネットが生活保護であるならば、私は人間関係におけるセーフティーネットのような存在でありたいと改めて強く思った1日だった。