毒にも薬にもならない
国家試験の勉強をしているとどうしても膨大な知識を前にして効率が落ちてきてしまうことがあります。
今日も3時間の講義内容(1科目)を復習するのにノルマは1時間半だったのですが3時間以上かかってしまいました。
おまけに眠気まで。
あ〜なんか最近効率落ちてるな。と思ったので久々に「東大読書」という本を読み返しました。
私はこの本で好きな文章があります。
「ベストセラーは毒か薬のどちらかだ」
「ベストセラーは決してただの水ではなく、読んだ人の心に、肯定的な感情であれ、否定的な感情であれ、なんらかの感情を残す、いわば"議論を呼ぶ本"なのだ」
という文です。
ここでなんとなく最近の自分の周りの人間関係に当てはめて考えていました。
私は半年前くらいに人が何人か離れていったりしたのですが、その理由の1つが「君といると(自分の)友達が壁を作ってくるから一緒にいるのが辛くなる」というものでした。
私は普段から自分が正しいと思うことであれば他人の意見はあまり気にせず突き通すところがあったので、
周りの人に合わせて生きている人よりかは多少敵が多いのを自覚していました。
ですが、
1つの物事には必ず
・肯定的な人
・中立的な人
・否定的な人
の3者がいます。
そして、こういった人それぞれの意見全てに合わせて表面を取り繕って生きていると、よほど芯が強くない限りその取り繕った表面はやがて中身まで浸透してしまい、自分が何者なのか、どういう考えを求めている人間なのか、そういった自分の軸が分からなくなってしまうのです。
ではそんな時どういう選択をすることが自分にとっての、そして自分の周りにいる人々にとってのベストなのでしょうか。
それは自分がどうありたいか、に従って生きることではないかなと思っています。(もちろんその時これが正しいと思っていても後からあれは間違いだったな、と気づく時もあります)
必ず相手の考えに耳を傾け共感しつつも、最終的には自分が心から求める考え方を選択するということです。
そしてこういう考えを持って生きていると人によっては私のことを「薬」とみなす人もいれば「毒」とみなす人もいて、さらにはその「毒」から自分で「薬」を作り出す人もいます。(いわば反面教師というものです)
私から離れていったその人はとても人に合わせるのが上手な人で、飲み会などでは盛り上げ役として重宝されていましたが普段から心を許せる人は誰もいないと私に愚痴をこぼしていました。
この話を聞いて私は思わず「毒にも薬にもならない」人とはこういう人なのかな、と少し思ってしまいました。
その生き方を否定するつもりもありませんし、むしろ私は少しは合わせるべきでは、と反省する時もあるので学ぶこともありますが、
やはり1つ自分の軸として貫きたいのは、人にとって「毒にも薬にもならない」人に私はなりたくない、ということでした。
私は、誰にもなんの感情も残さない人間にはなりたくないのです。
できることなら私は人に感動や喜びを与える人間になりたいのです。
そして私にとって特に話す価値のある人間がいるとするならば、それは嫌悪感であれ、高揚感であれ、何らかの感情を巻き起こす人なのでしょう。
これから先の人生で、自分のことを苦手だと思う人も、素敵だと思ってくれる人も、色んな人と出会うと思いますが、人生一期一会。
何かを教えてくれるために現れてくれたであろう全ての人を大切にしたいと思っています。