私たちはなぜ悩むのか
いつか私が結婚して子供ができた時、あるいは自分を慕う部下や後輩ができた時、
その子供や部下や後輩もまた私と同じように壁にぶつかり、道に迷うことがあるでしょう。
辛いことから目を背けることもあるでしょう。
人の冷たく弱い部分を目の当たりにして、自分のために生きるのが当たり前なんだと思う時が来るでしょう。
そんな時、子供のために親は、そして部下や後輩のために上司は強く暖かい言葉で導いてあげなければならない。
人は人のために生きるのだと。
そして人のために生きるということが最も自分のためになるのだと。
そのためにはまず自分が今悩めることに真正面から向き合うことが必要なのだと私は気付いたのです。
目をそらさずに答えが出るまで悩み続ける、
目をそらすのは深刻に考えすぎて生きていることが苦しくなった時だけでいいのだと。
その壁を乗り越える方法をいつか子供や部下や後輩に教えてあげるために、
私達若者は物事を簡単にめんどくさいと投げ出さずに、
今のうちに色んな山に体当たりしながら、
色んな言葉や絵や風景や人に触れて、
答えを導き出すのです。
めんどくさいことほど大切なことなのです。
悩みとは心の傷みです。
傷には傷薬が必要です。
この傷にはこの薬、といったように一つ一つ治療薬を見つけていくことで段々とどんな傷みにも冷静に対処できるようになります。
そしてその答えを、薬の名前を、どこかに書き記しておくこと。
なぜなら私達の命は儚いから。
昨日元気だった人が明日突然亡くなることは多いにあるのだから。
もし自分が子供や部下や後輩、そして兄妹や家族を守りきれずに早く死んでしまったら、
残されたあなたを大切に想うその人は、その書き記しておいた言葉を頼りに
自分の力で道を切り拓いていくでしょう。
だから少しでも多く、人生を切り拓くための言葉を今から残しておきたい、
そして過去の壁を乗り越えた自分の言葉は後の自分が壁に再びぶつかった時の自分を守り導くための盾となるのです。
今の自分を支えてくれるのは過去を乗り越えてきた自分なのです。
言葉は刃物にもなりますが人の弱さを守るための盾にもなります。
私達には言葉の使い方を選ぶ自由があります。
ならば、今この瞬間の自分の弱さを守るための武器として人を傷つける言葉を使うのではなく、後の自分や、周りの愛する人たちを守るための温かい言葉を悩み抜いて見つけ出す方が幸せではないでしょうか。