開拓者
昨日は某大学病院の研修歯科医採用試験でした。
あんなに緊張した日はいつぶりでしょうか。
朝から試験終了の17:00くらいまで手指が本当にずっと震えていたし、動悸も激しすぎて死ぬかと思いました。
私は様々なテストに対して、普段から及第点が確実に取れる勉強をしてテストに臨むスタイルなのでほとんど緊張しないのですが、昨日の試験は人間力の試験に近いと思っていたので突き詰めるほど答えまでの道はどんどん伸びるし、何より絶対に受かりたいという気持ちが体に支障をきたすほど強かったです。
しかも
試験問題を開けてみたら今年は例年と違う変化球の嵐。
事前準備で役に立ったのは3割くらいで残りは完全に実力勝負でした。
進路選択の参考資料としてここの大学病院の広報誌を読み漁っていた時の知識が小論文で使えたのは良かったのかもしれないです。
ただ面接の待ち時間も緊張が止まらなくて息をするのも苦しくて、その様子を見ていた大学関係者の人が「僕にまで緊張が移っちゃうよ~」と場を和ませようと声掛けしてくださいました。笑
面接は圧迫スタイルでもなければ雑談スタイルでもなく淡々と「私」という人間を知るための質問をしていくスタイルでした。
たまたま私を担当した二人の面接官の方がどちらも、昨年母が亡くなってテスト前の勉強が手につかなくなってしまった時の私にこっそり研究室の部屋を貸してくれた先生の後輩だったらしく、その話をした時はさすがに空気が和みました。
また、事前に提出した資料で私の半生を端的にまとめた文章を読んだ男性の面接官の方が「そこから何を学んでどう乗り越えたのか」を質問した際には私の緊張も吹き飛び、急にスイッチが入ったように普段から考えていることがあふれ出てきました。
伝わってほしいな~、この熱き想い。笑
普段考えていることがちゃんと自分の言葉として定着していた最大の理由は小さなノートに思いが溢れる度にすかさずメモしていたことと、それをこのブログに書き起こしていたこと、そして何度もそれらを読み返していたことが大きかったです。
泊りがけで試験に臨んだのですが、試験前日に近くのマックで勉強しているとコブクロverの「三日月」が流れてきました。(月見バーガーのシーズンですから 笑)
三日月の歌はメロディーが好きでよく聴いてはいましたが、あまり歌詞の意味をちゃんと考えたことがなかったです。
ですが、よくよく聴いてみると聴くタイミングによっては涙腺が崩壊する歌詞でした。
ずっと一緒にいた
二人で歩いた一本道
二つに分かれて
別々のほう歩いてく
寂しさであふれたこの胸をかかえて
今にも泣きだしそうな空見上げてあなたを想った
この冒頭の歌詞がグッとくるんですよね、私は。
なぜなら母のこともそうですが、今まで出会った人の中で価値観の違いや、私の持つ未熟さや、その他の様々な理由から私の近くにいることが苦しくなって私のいない道を選択していく人を何人も見てきたし、私もまた何人かに直接そのようなことを言ったり物理的にもう会えなくなってしまって新たに自分で別の道を拓いてきた過去があるからです。
そう考えると人間はみな開拓者なのかもしれないですね。
人生という道の開拓者。
私は過去を振り返ってみても安定していた時期はほとんど無く分かりやすく選択を迫られてきた人生だったな、と思うのですが、例えなあなあに生きてきてなんの変化もない人生を送っていると思っている人でさえも、その代わり映えのない人生そのものが選択の連続で自分が選び切り拓いてきた「自分」という人生の1つの道なのだと、そんなことを思いました。
これからの人生もまた多くの選択を迫られるでしょう。
そんな時私はどういう選択をとるのでしょうか、未来の自分が楽しみです。